【活動報告】2019年6月 和歌山大学観光学部での講義ノート



協力隊として移住して1年7ヶ月の男性隊員です。
まちづくり活動に従事しながら、観光やまちおこしについて
地域外のかたともお話する機会も多く、
今回はそのような場合でお話している内容を紹介いたします。


※2019年6月に和歌山大学観光学部で行った講義の文字起こし版です


いくつかのサンプルをお持ちしました。


はじめまして。大分県は宇佐市、安心院町というところからきました。
現在、地域おこし協力隊として「まちづくり」を仕事としております。
安心院に移住してようやく1年が経ったところです。
みなさんは「地方創生」などに関心をもってらっしゃると本講座の先生から伺っています。
先生に聞いたところ、この特別講座の内容は試験にふくまれないということで、
ぜひみなさん、リラックスして質問やご意見をいただければありがたいです。
まあ、まちづくり活動に携わるひとつの生きた実例、
ケーススタディとして見ていただければ参考になるのではないでしょうか。
それをお伝えするのが、今日のゴールのひとつです。


Tourist or Traveler


さっそくですが、ひとつ質問をさせてください。
みなさんは「ツーリスト」ですか?それとも「トラベラー」でしょうか?
「ツアー」と「トラベル」の違いについては本講座の第1回
(※本特別講義は第8回にあたる)で先生がお話されたそうですが...。みなさん覚えてますか?


(学生から「ツアー」と「トラベル」の定義について説明)
はい、そうですね。「ツアー」は日程、目的地、予算が決まっていて、
安全第一、無事に家に帰ってくることが大前提のものです。
「トラベル」、「旅」とはむかしはもっと過酷なものだったみたいですね。
たとえば江戸時代の旅は一生に一度、命がけのものだったようです。


自己紹介〜Traveler型のキャリア?〜


「ツーリスト」か「トラベラー」か。
この話はもっとしたいのですが、さきに自己紹介をさせてください。
わたしは福岡県のある小さなまちに生まれ(いま働いているまちよりもっと小さいです!)
長崎大学の経済学部を卒業しました。
多くの経済学部生と同じく(?)、「つぶしがきくから」「メシのタネ」と、
知的好奇心をあまりともなわない選択だったのですが、
専攻の「会計」と「経営」は成績関係なくわりと熱心に勉強しました。
「原価計算」や「組織マネジメント」はいまの仕事や生活でも、密接に関係しているテーマですし。


あとは早送りさせてください。社会人6年目なのですが、転職を3回(あるいは4回?)しています
。マーケティング会社の営業→バーテンダー→Airbnbのホスト
システム開発の営業→いまに至る。といった具合に。
住む場所も長崎→東京→博多→東京→大分と移動しています。


もし、キャリアに「ツーリスト型」と「トラベラー型」があるとしたら、
わたしのは「トラベラー型」と呼べるのかもしれません。ぜんぜん安全ではないですし。
「ツーリスト型」だと大企業に就職、
30前に結婚、出産、マイホーム、幸せな老後のイメージでしょうか。


Traveler型の心のありよう


しかし、履歴書的な捉え方ではなく、わたしは「予期せぬできごと」に対する、
「心のありよう」にこそ違いがあると思うのです。
思いどおりにものごとが進まなかったとき、予定調和がくずれたときに何を思うのか。


たとえを旅に戻しましょう。
旅先でパスポートをなくしてしまった。
「明日から仕事なのに!」とイライラするか。絶望するか。
「何かおもしろいことがはじまる!」とわくわくが勝るのか。
これがわたしの考える「ツーリスト」と「トラベラー」の定義です。


わたし自身はこれから先の人生にたしかな保障もなければ、
これといった見通しもありません。
ただ、現在地点に対して、自分自身で納得はしています。
「こうなるしかなかった」「誰のせいにもできない」
こういうと、聞こえはネガティブですが、たいへん気楽なものです。
不安よりも圧倒的に好奇心が勝っている状態です。


この状態はいまの仕事にもポジティブに働いているようです。
たとえば仕事において「仮説→検証」のプロセスは必須ですし、
また醍醐味の部分でもあります。
(いかにトラベラーだと開き直っても常に思いつきで行動するのは考えものです)
しかしながら、「まちおこし」は地域の多様なかたと関わらなければなりません。
わたしは以前、法人むけの営業を行っていたのですが、
まちづくりにおける合意形成は、企業の意思決定よりもさらに複雑なかたちを取ります。
それは人間関係がたいへん入り組んでいることもそうですが、
スーツや肩書を取り去ったあとの「まるごとの人間」として、
それぞれの生活者が存在感を発揮しているからだと思われます。
どこに落とし穴があるかわかったものじゃありません。
そういう、予測不可能なできごと、
もはや意識のらち外からの哲学的な壁にぶちあたったとき。
そんなときですら、時間がたてば少なくとも「おもしろい」と思える好奇心は、
いまのわたしにとって大きな味方だと実感しています。


まちづくりとはなにか


前置きが長くなっていますが、わたしが
・どんなところに住んでいるのか?
・具体的に何を仕事としてやっているか?
の紹介をしたいと思います。


大分県の安心院町というところ。本来は合併して、宇佐市となっていますが、
活動のフィールドでもあるので、安心院に絞って簡単にご紹介します。
ふるくから農業がメイン産業で、人間関係が濃密です。
過疎化が進んでおり、特徴的な小中高一貫教育が行われています。
観光という切り口では、自然豊かで、ワイナリーがあったり、農家民泊の発祥の地であったり、
スローツーリズムやグリーンツーリズムとして可能性を秘めている地域だと思っています。


観光の課題としては、短期滞在のかたが非常に目立つということです。
日帰りや、日中は安心院に訪れても宿泊は別府や由布院というお客さんが非常に多い。
つまり安心院を訪れる観光客のかたは、地域にお金を落としていないのです。
もちろん、観光ぶどう園だったり、料亭だったり、「上客」を抱えているかたは多いのですが、
市町村単位の観光施策の結果というよりも、
事業者さんの自助努力によるところがおおきいように思われます。
このことから、観光自体はまだ地域の「産業」になりきっていないといえます。


さて、わたしの仕事は「まちづくり」なのですが、
持っている予算ぐあいでも、建物をたてたり...といったハード的な動きはできないので、
「いまあるもの」を使ったソフト方面に集中しています。


そもそも過疎化が進むとなにが起こるのでしょうか。
福祉や介護の観点からみてみると、
ひとが減るから商店がなくなる→
地域のひとの交流の場/機会がなくなる→
家にこもる→健康寿命減少し→医療費や介護費の負担がおおきくなる
自治体としては、たいへんな事態です。
この例は総務省のかたに聞いたのですが、
そのかたによれば「データが乏しいので、感覚的なものだけれども」と前置きされ、
交流の機会をうまくつくることができれば、
「1市町村あたり年間7億円の医療費・介護費の節約につながる」とのこと。


われら「まちづくり組織」の存在のよりどころとなる理念です。
では現場では何が行われているか。
正解は地域のひとを家から呼び出すためのイベントです。
目標値は「ひとがどれくらい集まったか」。
一見、理にかなっているようですが、年々、ひとが集まらなくなっており、
マンネリ化も叫ばれています。
多大な予算と労力によって成り立っており、
市からの交付金が削減されれば継続できないものもあります。
さらに観光、つまり外に意識を向けたイベントに変容していっているのも問題だと考えております。
本来の意味とはかけ離れた悪い意味での「観光まちづくり」。
ここのあたりを本日のトピックとして議論できればと思っております。


 


「草刈り仕事」について


わたしはいまの仕事はおおきく2種類に分けられると考えています。
ひとつは「草刈り仕事」。地域のかたの要請で行う仕事です。
もうひとつは「自分しかやらない仕事」。
頼まれないのですが、やったほうがよいと思える仕事。
特に自分のスキルや知識が地方において「レア」だと思える分野が好ましい。
経済学でいうところの「比較優位」というやつです。
ざっくりいうと「適材適所」です。気になるかたは調べてみてください。
しかし、「おれはマーケティングが得意だからマーケティングだけやる!」
と鼻息あらくしても地方では受け入れられがたい。
よほど実績あれば別なのかもしれませんが。
ここからはわたしの失敗談なのですが、「草刈り仕事」をバカにしてはいけません。
「草刈り仕事」は地域の信頼を稼ぐチャンスです。
反対に、ないがしろにしてしまうと、ピンチにもなりえます。
ロールプレイングゲームを思い浮かべてみてください。
最初には弱いモンスターをせっせと倒していかないといけません。
経験値を貯めて、ようやく魔法が使えたり、次のステージに行くことができる。
草もあれと一緒で、せっせと刈れば、地域の信頼はいや増します。


まあ、当時は「お年寄りにこんなムリはさせられん」というモチベーションでしたがね。
「若いもんにゃ負けられん」と精神構造は同じです。
フタをあけてみると、地域の年配者はわたし以上に体力があった、というオチなんですけど。


まちづくりにおいて考えておきたいこと


それでは本講義でみなさんと話し合いたいトピックをお伝えします。


・地域においてどうやって「価値」を発揮するか?
・地域の「幸せ」とはなにか?


このふたつは「まちづくり」において必須の問いでありますし、
わたしのなかで正解がはっきりしていないところもあります。
ぜひみなさんのお知恵をお借りできれば幸いです。


とはいえ、ざっくりとした問ですので、わたしのほうで、
例題を用意いたしました。すべて実話なのですが。


(1)「価値」について
わたしが新卒入社した会社の最初の営業会議。
わたしはわからない事柄も多く、とにかくメモに終始しました。
会議後、上司から「なんでひとことも発言しなかったの?」
「議事録をとるので精一杯でした」とわたし。
「どうやって組織に”バリュー”を発揮するか考えなさい。
ちなみに会議で発言しないものはバリューを出してないよ」
チームの一員として、新入社員であれど、頭を絞って意見を述べるべき。
そのためには臆せず質問してもよい、というコンサルティング出身の上司の、
厳しいながらも優しさであったのでしょう。
以来、仕事において 「バリュー(価値)」はわたしの基本的なコンセプトです。
仕事だけでなく、家庭、学校、地域などコミュニティの一員として活動するうえで
「いかに価値を発揮するか」は大切なテーマではないでしょうか。


ケネディ大統領の言葉を借りると、
「”国があなたに何をしてくれるか?”ではなく”国に対してあなたに何ができるのか?
”をみんなで考えましょう(意訳)


Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.


(2)「幸せ」 について 〜地域で学んだこと〜


これはわたしにとってパラダイムシフトというべき体験です。
まちづくり組織では、公民館を利用したサロン活動を支援しています。
そもそもまちづくり組織は「市町村」という区分けから「小学校区」というミクロな地方分権をし、
設立されたものですが、サロン活動はさらに小さな「居住区」レベルで行われます。
隣近所といえばわかりやすいでしょうか。
顔が見える範囲での活動ですので、
地域住民のかたのニーズがより反映されやすいという期待があります。


そのサロン活動のひとつを紹介しましょう。
毎月一度、第3日曜に開かれるサロンです。午前9時から、解散はなんと午後4時くらいまで。
女性ばかりの10〜15名ほどの集まりです。
午前中は切り絵、バッグづくり、裁縫などの「ワーク」を行い、
調理当番のかたがつくったお昼を食べて、午後は井戸端会議に花を咲かせます。
「ワーク」でやり残したことがあるかたは続きをやったり、時間の過ごし方は自由。
強制力はありませんが、みなさん「居心地が良くて家に帰るのがおっくうになる」そう。
ご一緒に見学した別のサロンの会長さんは「2時間みんなを引き止めるだけでもたいへんなのに」
と驚かれてました。
わたしが特徴的だと思ったのは「ワークの先生」が毎回変わること。
もし先生をやりたいときは、サロンの最後のときに手を挙げるルールだそうです。
そのときの「先生」にお話を伺ってみました。
題材は「いらなくなったTシャツを使った室内用ゾウリづくり」。
雑巾代わりにも使える、ちょっと「ズボラな」すぐれものです。
「先生」は準備に余念がありません。
まずは新聞でネタを発見。「これはきっとみんな喜ぶ!」
必要な材料をリサーチして、図書館に行ったり、けっこう遠方の道の駅などの販売所で
現地調査をしたり。
「講義」までのノートを見せてもらいました。図や文字がびっしり。
「数十時間はかけた」そうです。


さて、この「先生」たちは非効率なのでしょうか?
数十時間をかけて、準備をし、おしゃべりをし、つくった品物は販売していません。
たしかに「お金を稼ぐ」「モノを生産する」という観点からは、効率がよいとはいえないでしょう。
ただし、本質は、彼女たちの「目的」は「生産」ではなく「コミュニケーション」にある、
と思い当たりました。
「コミュニケーション」すなわち「遊び」が目的にあるのであれば、そこに時間をかけられることは、
すなわち生活が豊かだといえるのではないか。
それまでのわたしの仕事においては「コミュニケーション」は「生産」の手段であったので、
これはおおきな衝撃でした。
じっさい、(あまり性差で語るのはよくないのでしょうが)
男性がリーダーシップを発揮するまちづくり活動では
「コミュニケーション」が手段として軽視されているケースが多く見受けられます。
「生産」が必要か否かはそれぞれのまちで状況が違うと思いますが、
今後、父権社会的なまちづくりから女性がリーダーシップを発揮するものになると、
ずいぶん様相が変わるように思えるのです。


(3)幸せについて 〜more tourists = more happiness? 〜


次の例も地域から学んだことですが、わたしの立場は批判的です。
安心院では定期的な地域活動として「美化活動」が行われます。
年に4回。ゴミ袋や参加者への飲み物、告知などまちづくり組織の負担もありますが、
ボランティアのかたも毎回、多く参加されます。
それほどの労力をつかって、どんなときに清掃を行うのでしょうか?
答えとしては、年4回のうち2回を「観光客が多く訪れるイベント」の「開催前」に清掃を行います。
さて、これはどういう意図があってのものでしょうか?


(学生さんからの答え)
はい、おっしゃるとおり、ばっちり正解です。
「訪れるかたにきれいなまちを見てもらいたい」という思いからです。
観光の波及効果のひとつとして「市民の地域への誇り」が喚起される、
というたしかにプラスの側面もあります。
さらにこちらの地方には「お接待」、旅人をもてなすという美しい習慣もあります。
ただし、わたし自身が批判的な立場を取っている理由として、
まちづくり活動として「公的に」かつ「なかば義務的に」
行っていることに問題があると考えているからです。
「市民の地域への誇り」、これは言い換えると、
ある「思い込み」につながっているのではないでしょうか?
すなわち「観光客が増えるとわたしたちは幸せになる」と。


構造的にものごとを捉えること


ここから、ふたつのトピックに対するわたしの解釈と意見をお伝えいたします。
まず、「システム思考」、つまりものごとを構造的に捉えることの重要性です。
まちづくりの現場において、どうも「企画先行」というか「小手先」の部分で、
ものごとを進めてしまうことが目立ちます。
どうなるか。目的が見えないので、正しい目標設定ができず、
イベントが成功だったか失敗だったかわからない。
予算があるからとりあえずは継続する。
「誰が幸せになるかわからない」もしくは「誰も幸せにならない」から、
マンネリ化におちいり、どんどん関わるひとが少なくなっていく。


これに対する解決策として、
わたし自身が仕事をしておりましたITシステム開発の現場での方法論がうまくハマるように思われます。
これは何を実現したいか(目的)からスタートし、ターゲットとニーズを決め、
どんな機能をクリアすればよいのか(目標設定)を終えて、ようやく機能を定義、
すなわちイベントであれば企画内容を決めるという流れです。


こういういいかたはかなりドライに聞こえると思いますが、
個人レベルでも「自分はコミュニティに対して何ができるのか」を
「機能」とするのであれば、まずは全体像を把握することからはじめないといけません。


これがわたしが考える、地方における「価値」を発揮する第一歩です。


受益者負担の原則から


ふたつめはお金や地域資源の使い方について。
これは海外のDMOの事例から学びを得ました。
例えばハワイのDMOはホテル税から運営資金を多く得ています。
これはハワイのDMOによるプロモーションで、ホテルが益を得ているという考え方からです。
税法には詳しくないのですが、この原則はどの領域でも当てはまる、
当てはめるべきではないかと考えております。
利益を得る人が負担をする。日本の観光協会だと、地域の税金が多く使われてますが、
観光によって地域のかたが利益を得ているケースはあまり多くないのではないのでしょうか。


ひるがえって、この「受益者負担の原則」をまちづくりに当てはめるとどうなるでしょうか。
じつはまちづくりにおいては、負担が先にある。
すなわち地域のかたの税金と、ボランティアなどの労働が基礎となって運営されています。
その地域資源の使いみちとして、「あまりお金を落とさない観光客」など外に向けるのではなく、
地域のかたへ「幸せ」をお返しするということを優先させるべきだと思うのです。


Pay it Forward 〜持続可能なまちづくりのために〜


しかし、”Pay it Back” 、つまり税金やボランティアで負担してくれた大人にだけ、
お返しをするという発想では「持続可能なまちづくり」を成り立たせるうえで、
不十分な構造だと思うのです。


消費ではなく投資の発想。福祉だけでなく、教育にもっと目を向けるべきだと思います。
現在、安心院において、まちづくり活動の一環として英語やプログラミングなどの
教室を行ってきました。
プログラミングに関しては、小学校とも本格的に連携をとって、
進めていく流れを得ています。
わたし自身はちいさなまちに生まれ育ち、新卒で東京にでた際に、
周りの首都圏出身の若者と比較して「キャリア」に対する考えで、
おおきな差を感じました。
もちろん、自助努力でカバーできる部分はあります。
ただ、地方に生まれ育つうえで、都市部での教育と比べ、
おおきなマイナスがあってはならない、
もしくは別の視点でおおきなプラスを得てもらいたい、という思いがあります。
たとえばクラスあたりの人数が少なかったり、
ひととひとの距離が近いことであったり、
まちづくり活動という「年齢幅のおおきい集団」のなかで得られる経験は、
実用的であるだけでなく、人生を豊かに生きるうえでも重要だと思えます。
地方だから得られる学び。地方の優位性をどれだけ生かした「ひとづくり」ができるか。
まちづくり活動におけるキーだと確信しています。


ロールモデルになる 〜大人は何ができるか〜


最後に地方における大人の役割についてお話したいと思います。
まちづくり活動を通して感じます。
トップダウン型の命令系統がうまく機能しなくなっているのではないか、と。
もう、ひとは「こうしてくれ」といっても基本的には
「動いてくれない」と念頭においていたほうがよいのではないかと思うのです。
それぞれの立場も生活もあります。そうなると、よほどの「何か」がなければ、
まちづくり活動に参画したくないというのも理解できるのです。
その「何か」を模索するのが、わたしたちの最初の仕事です。
教育においても、「ああしろ、こうしろ」という押し付けは、
やはり可能性とやる気を奪ってしまうものなのではないでしょうか。
ましてや、わたしなぞプロの教育者ではありません。
こどもたち自身で「気づき」を得るサポートがどれくらいできるか。
それには古い言い回しですが、「背中を見せる」ことが最善かと思います。
いま心がけていることは、
「いつも楽しそうにしていること」。


結構、こどもたちは見ています。
なんで彼は東京からやってきたのか?
いつもヒマそうだけど、仕事はどんなことをやっているのか?
(あるいは仕事をしていないと思っているのかも)


そういう視線の先でわたしがつまらなそうにしていたらどうでしょう?
反対に、いつもなんだか楽しそうにしていたら?


このまちには何かあるんじゃないか?


そういう目で、安心院のまちを見て欲しいな、と思っています。
まちづくりに関して、若い人からの意見は大歓迎ですし。


中国には「反面教員」なる言葉があります。
日本語の「反面教師」とは使われかたに少し異なるニュアンスがあります。
いわく「反面教員は人生において必須のもの」


ロールモデルだ、と肩肘はらずともよいのかもしれません。
こどもたちにとってのまだ見ぬ世界に多少なりとも興味をひかせる
サンプルになれるのであれば。

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